「春画」という言葉を聞いたとき、どんな印象を持ちますか。
少し恥ずかしい、隠れたもの、禁断のもの
そんなイメージを持つ方も、多いかもしれません。
でも実は、江戸時代の日本において、春画は 「隠す」ものではなく、「飾る」ものでした。
嫁入り道具として、親が娘に持たせた
以前「春画は「家宝」」でも書いたように
江戸時代、春画は武家・商家を問わず広く愛され、 家の中に飾られ、大切に保管されていました。
なかでも印象的なのが、 春画を嫁入り道具のひとつとして、 娘の婚礼箪笥に忍ばせる風習があったことです。
それは、娘に「性を恥じるな」と伝えるための、 親から子への、愛のメッセージでした。
「あなたの体は美しい。愛を知ることは、喜びである」
言葉ではなく、絵でそれを伝えた文化が、 この国にはかつて存在していたのです。
葛飾北斎も、春画を描いた
春画を手がけたのは、決して無名の絵師たちではありません。
「富嶽三十六景」で世界的に知られる葛飾北斎も、 喜多川歌麿も、歌川国芳も、
一流の浮世絵師たちが、その腕を惜しみなく注いで 春画の傑作を生み出しました。
北斎が描いた春画の代表作『蛸と海女』は、 今日でも世界の美術館に収蔵され、
現代アートにも影響を与え続けています。
彼らが春画を描いたのは、 性を「卑しいもの」としてではなく、
人間が持つ根源的な力と美しさとして、 真剣に向き合っていたからではないでしょうか。
「見せる」ではなく、「感じさせる」技術
春画の世界で特に注目したいのは、 その「余白」と「想像力」の使い方です。
着物の乱れ、指のかかり方、うつむいた顔。
すべてを描ききらずに、 肝心なところは観る者の想像に委ねる。
それが、江戸の美意識でした。
「見せすぎない」ことが、 最も深く相手の心に届く
春画は、そのことをずっと昔から知っていました。
明治以降「隠された」ものに
ところが、明治以降の西洋化の流れの中で、
春画は急に「わいせつなもの」として禁じられ、 人々の目から隠されてしまいます。
江戸時代には当たり前に親しまれていた文化が、
外来の価値観によって「恥ずかしいもの」に 書き換えられてしまったのです。
その影響は、現代にも色濃く残っています。
性について話すことへの罪悪感。
自分の欲求を認めることへの恥の感覚。
女性が「感じること」へのためらい。
それらの多くは、江戸時代の日本人には 存在しなかった感情かもしれません。
美しいと思う感覚を、取り戻す
BiBiOが目指しているのは、 江戸の春画が体現していた精神の、現代版です。
性を「処理」や「発散」ではなく、 ひとつの美しい人間的な営みとして捉えること。
自分の体と感覚を、 恥じるのではなく、丁寧に扱うこと。
そしてそれを、品よく、上質に、 日常のなかに静かに置いてあげること。
春画を見た江戸の女性たちは、 きっと恥ずかしさではなく、
どこか安心感の中にワクワクする気持ちを覚えたのではないかと思います。
「ああ、これは、自分だけじゃないんだ」と。
「もっとこんなことも、試してみたいかも」
BiBiOもまた、そういう存在でありたいと思っています。
人間の感覚は、美しい。
性的な欲求は、自然なことです。
江戸の絵師たちが筆に込めたメッセージを、
私たちはプロダクトに込めて、皆様に届けたいのです。