日本は、本当に“保守的”な国だったのか
現代の日本では、
「性」はどこか話しづらいものとして扱われています。
学校でも深く学ぶ機会は少なく、
家族やパートナー同士ですら、
本音で話すことに抵抗を感じる人は少なくありません。
その一方で、
街やインターネットには、
刺激的で過激な性コンテンツが大量に溢れています。
「性はタブーなのに、性産業は巨大」
この矛盾した空気感に、
違和感を抱いたことがある人も多いのではないでしょうか。
けれど、日本はもともと、
ここまで「性を閉じた国」ではありませんでした。
江戸時代には、「粋」な性文化が存在していた
江戸時代には、今よりももっと自然に、
性が文化の中に存在していました。
春画は、単なる性的な絵ではなく、
笑いながら囲んで見る「笑絵」として親しまれ、
時には嫁入り道具や家宝として扱われていました。
また、吉原には、単なる欲望の消費だけではなく、
香り、会話、装い、教養など、「粋」な美意識が存在していました。
恋文を書く文化や、相手との距離感を楽しむ感覚なども含め、
性はもっと人間らしく、感情や美意識と近い場所にあったのです。
もちろん、すべてが理想的だったわけではないと思います。
それでも少なくとも、
現代のように「完全なタブー」として扱われていたわけでは
なかったのではないでしょうか。
明治以降、「近代化」とともに変わった価値観
転機となったのは、明治時代以降の近代化です。
西洋の価値観を取り入れ、「文明国家」としての体裁を整えていく中で、
日本の性文化は少しずつ制限されていきました。
そして戦後、GHQによる占領政策の中で、
性表現への統制はさらに強まります。
風紀や検閲の考え方が変化し、それまで日本に存在していた比較的おおらかな性文化は、
「公に見せるべきではないもの」として扱われるようになっていきました。
つまり、現在の「性=隠すもの」という感覚は、
日本本来の文化というよりも、
近代化や戦後の価値観の変化の中で、形成されていった部分も大きいのです。
その一方で、「アングラ」だけが巨大化した
しかし興味深いのは、
「性」そのものが消えたわけではないということです。
むしろ、タブーになったからこそ、
地下化し、より刺激的な形で発展していった側面もあります。
現代では多少減りましたが、
過激なAV、刺激重視のコンテンツ、生々しいデザインの商品など、
「強い刺激や消費」としての性は、巨大な市場になっています。
けれどその一方で、
上品に。
健全に。
美しく。
性を扱う文化やサービス、プロダクトは極端に少なく、
同時に、教育の場面でもあまり話されない。
つまり今の日本は、「タブーだから話しづらい」
でも「刺激的なものだけは大量にある」という、少し歪な状態なのかもしれません。
「健全な選択肢」が少なすぎる
私たちは、この状況に強い違和感を持ってきました。
性は本来、人間の三大欲求のひとつであり、WHO(世界保健機関)でも、
身体的・精神的・社会的なウェルネスと深く関わるものとして定義されています。
それにも関わらず、「健全に向き合うための選択肢」が極端に少ない。
結果として、話しづらさや後ろめたさだけが残り、
性について自然に学んだり、パートナーと話したりする機会も失われているのではないでしょうか。
BiBiOは、
このギャップを少しずつ埋めていきたいと考えています。
性を、
隠すものでも、過激に消費するものでもなく、
もっと自然で、美しく、人を満たす文化として扱うこと。
それは、
新しい価値観を作るというより、
本来日本にあった「粋」な感覚を、
現代にもう一度取り戻すことなのかもしれません。
私たちは、
性をもっと健全に、もっと丁寧に話せる空気を作りたいと思っています。
そしてBiBiOは、
そのための小さなきっかけでありたいと考えています。