2024年に公開された、映画『クィア/QUEER』
原作は、1950年代にアメリカ文学界で異彩を放ったウィリアム・S・バロウズの半自伝的同名小説。クレイグは麻薬中毒を理由にアメリカから亡命し、1950年代のメキシコシティで退屈な日々を酒と薬でやり過ごす中で、美しい青年ユージーンにひと目惚れをするウィリアムを熱演する。ユージーンの気まぐれに翻弄されて孤独を募らせるリーは、愛する人と「直感で心を通じ合わせる」ことができる奇跡の体験をしようと、リーを南米の旅に誘い出す……。
この作品の中で親密なシーンに臨んだ俳優 ダニエル・クレイグは、難しかったことは何もなかったと語っています。唯一必要だったのは、お互いに対する敬意だけだった、と。
「大切なのは、セックスではなく物語」
彼はこうも言い添えています。共演者と笑い合い、楽しんで撮影した。欲望がどういうものかを知っている大人同士として、互いを尊重しながらリアルに演じた。最終的に大切なのはセックスではなく、物語なのだから——と。
簡潔な言葉ですが、親密さを扱うときに本当に必要なものが何かを、これ以上なく的確に言い当てています。技術でも大胆さでもなく、敬意。それさえあれば、難しいことは何もなくなる。
インティマシー・コーディネーターの設置
近年の撮影現場には、インティマシー・コーディネーターという専門職が置かれるようになりました。どこに触れるのか、どの角度まで映すのか、事前にひとつずつ確認し、演者の意思を制作側に代弁する役割です。
興味深いのは、インティマシー・コーディネーターを設置することが表現の自由を狭めるどころか、むしろ現場を自由にしたことです。何が起こるか分かっている、嫌なら止められる。その保証があるからこそ、演者は安心して踏み込めるようになりました。
何も映画の中の話だけではない
これは、そのまま私たちの関係にも当てはまります。
確かめ合うことを、盛り上がりに水を差す行為のように感じてしまう方は少なくありません。けれど実際には逆です。確かめたから、安心して委ねられる。安心があるから、その先へ行ける。撮影現場が示しているのは、まさにその順序です。
敬意を気持ちの問題として軽視しない
敬意という言葉は、ともすれば気持ちの問題として片づけられがちです。けれど現場が制度化したのは、気持ちではなく手順でした。事前に話す。途中で確かめる。終わったあとに振り返る。
私たちの関係にも、同じことができます。特別な会話でなくて構いません。「今日はどうしたい?」と尋ね、その答えを本当に尊重する。それだけで、敬意は態度から手順に変わります。
そしてそれは、関係を硬くするどころか、良好にしてくれるものなのだと思います。